Voice4u 開発秘話 – 第1回 自己紹介

この記事ではどのようにしてVoice4uができあがったのか?なぜこのような物になったのか?の開発秘話を書いてゆきます。シリーズですので、どうぞ皆様楽しんで御読みください。

私は駐在員の妻としてアメリカに引っ越してきました。日本は、大阪出身です。現在18歳の長女と15歳の長男はアメリカで産みました。どうも私の体はお産には、むかない体質らしく、なかなか大変な妊婦期間を経て、長女は仮死で生まれました。ところが彼女は、現在至って元気。2年半後、長男の渡を産みますが、長女の出産の時は、私も娘も危険な状態に陥ったので、長男の出産が無事に出来たことは私にとっては、なによりも嬉しい事でした。

そんな長男には生まれてすぐに次から次へと問題が起り始めました。育てていてもなにかが、おかしい。うまれて1ヶ月で、器官に軽い奇形が見つかり、真横に寝かせることができず、たくさんのタオルを使って滑り台のような坂を作って寝かせないといけませんでした。真横に寝かせると器官のまわりの軟骨が出来上がってないために、息がくるしくなってしまうのです。

生まれてすぐに人工乳で育てていましたが、母乳を吸うことで胸の力がつくと言われて、1ヶ月の時にはすでにまったくでていなかった母乳を再開しました。そこから母乳で育てていた物の、5ヶ月で母乳がでにくくなり人工乳にもどそうとしました。ところが突然ミルクを飲まない。おかしいとおもい、医者に駆け込むと「強度アレルギー」が発見されました。ミルクはもちろんのこと、豆、小麦粉、卵にまでアレルギー反応がでて、さて、どうやってこの子を育てるかが大きな課題になりました。特に豆がだめが一番つらく、それは醤油、みそが食べれないということで、日本人としては、痛恨の一打です。

スーパーにいくと全ての製品の裏書きを読むという日々が続きます。英語が苦手なので、一旦手に取った製品をじーっくりと読むのです。冷凍製品は、ずーっと持ち続けると手がかじかんで、手の感覚がなくなることもしょっちゅうでした。

埃にもアレルギーがあるために、アレルギーの発作がでると、服、寝まきはもちろんのこと、シーツ、枕カバー、カーテンまで一気に洗わないと埃が右に左に移動するだけです、コインランドリーは、私の毎日の出勤場所になりました。

こんな渡は、なんだか反応が悪く、アレルギーのせいかな?と思ったのですが、周りのアレルギーのある子供はちゃんとあやしても名前を呼んでも、反応があります。なんだろう??と思い調べたら、どうも自閉症じゃないか?と疑いがでてきました。

1歳の時に初めてスタンフォード大学病院併設のヒューレットパッカード小児科病院の扉を叩いたところから、私の第2の人生も始まりました。

(第2回につづく)