Voice4u 開発秘話 – 第2回 どうして専門家たちが作成に加わったのか?

病院で自閉症の疑いありと言われた渡は、併設する専門病院にまわされて、数ヶ月後に自閉症の診断をもらいました。発達に遅れのあった時点で早期介入教育を受けるために、すでに特別学級に通わせてもらっていた渡は、色の認識等々もできるようになっておりました。母の私には、スピーチセラピストさんが自宅まで来てくださって手話を教えてくださいました。私は勝手に「だめ」とか、「触るな」とか「黙れ」「危ない」と言う言葉を最初に教えてくださると思っていました。実は、このときセラピストさんが一番最初に私に教えてくださったたったひとつの言葉が、私の生きていく勇気になっています。セラピストさんが最初に教えてくれた手話。それは—–

“I love you.”

母親の私が渡に伝えるために教えられた手話でした。

渡の教育面での問題は常に言語でした。けど、小児神経科の先生が言われたように1歳に見つかると一生話さないというのが頭に残り、20歳までに一言でも話せればいい。とドンと構えることにしました。スピーチセラピストの方には、お医者様はそういうけど、私たちはそうは思わないと言われました。教えるのは私たちだから安心してという強い味方ができました。

言語に対しては、日本語英語の両語を教えることに決定。スピーチセラピストさんや先生との二人三脚(三人四脚?)がはじまりました。

渡は自閉症に関しては、パニックと24時間時間を問わずの脱走。薬にもアレルギー反応が出るためになかなかくすりが合わずになおらなかった睡眠障害が、大きな困った問題でした。自閉症以外での問題は重度のアレルギーです。カウンティ指定の危険度合いの高いグループに入れていただき、発作がおきた時は、近くの病院に駆け込めば、注射をうけれるように設定していただきました。

ダイナマイトを抱えたような私の第2の人生の滑り出しです。爆発したら、自閉症のパニックも、アレルギーも押さえるのは大変です。ただ、言語は、アイコンを見せることによって、伝えられた時と伝えられなかった時でパニックの度合いが明らかに違うことを認識できました。伝えることができれば、はるかにパニックは少ない。それでスピーチセラピストさんと相談して、アイコンを持ち歩くことが決定。ファイルにして持ち歩いておりました。

ところがアイコンによる言語理解度が進むにつれて、渡のファイルはぶ厚くなり、ついには、5kgとかいう重さになってしまいました。渡の5kgのファイル、着替え、食べ物(アレルゲンのないもの)を持ち渡をつれて歩くのは大変で、渡がパニックをおこすと16kgある渡自身も抱えなければなりません。まるで人間キャリアーです。暴れる渡を抱き上げている時はフォークリフトより、私のほうが強いかもと思った頃もありました。その他には、渡はとにかく美人が大好きで、美人をみつけると近くまではしってゆき、手を振ってあいさつしてしまいます。それを荷物を持って追っかけて阻止せねばなりません。こんな日々でしたので、せめて、このファイルだけでも小さな機械にはいってくれれば・・とずっと思っておりました。

そんな渡が5歳の時アレルギーのショック反応と喘息発作であっと言う間に意識がなくなり、緊急入院になりました。恐れていたダイナマイトの大きな爆発です。

あぁ。これはもうお別れかも・・。

と怖いことが頭をよぎりました。案の定お医者様も親族全員を集めるようとおっしゃられました。注射と点滴でなんとかもちなおしたものの、意識がもどってこない。アメリカに住んでいる私たちは親族はそのときは香穂と私しかいませんでした。お医者さんにお父様はどこ?ときかれたのですが、僻地への海外長期出張中で電話もつながらず・・。

香穂と2人で泣きそうになりながら渡を見ていたら、朝になって目をさましました。丁度看護士さんが交代制の時間で、男性看護士さんからかわいい美人の女性看護婦士さんが担当になりました。

目を覚ました渡は、私や香穂に抱きつくのか?と思いましたが、一番に美人の看護婦さんの手を握りに行ったのです。香穂と私で

「あんなに心配したのに!」

と泣き笑いでした。入院中もやはり

「のどが乾いた?いたい?トーマスはどこ?」

すべての会話にアイコンの入った重いファイルが必要で、これが小さくなればなー。もっと病院でも快適なのに、と思っておりました。

こんな育児を経て今年、渡は15歳になりました。人が好きな渡のためにも我が家には、いつもたくさんの人が出入りします。その中にはシリコンバレーで著名な技術や開発の方たちもいらっしゃってiPhoneの話に花がさきます。私が

「渡が小さいときから、思っていたのだけど、こういうものに、アイコンがはいれば、自閉症の子供はたすかるのよね。渡は今は、タイプや言語で話すせるけれど、やはり環境がかわったり大勢の人が集まるところに長時間いるためには、絵を見せれるアイコンが必要」

と話したら、私がiPhoneの中にいれていたアプリをご覧になられました。しかしそのアプリは、とても複雑怪奇で絵も渡が苦手とするもので、大変高かったのですが、数秒でお払い箱になってしまったものです。

「この程度でしたら作れますから、作りましょう」

と2人の方が名乗りをあげてくださいました。

この話をスピーチセラピストの人に話すと

「ゆみ、それは、必要なのは、渡だけではない。自閉症で必要としている子供はたくさんいるのよ。ぜひ他の子供さんにも使わせてあげないと。」

と言うことになりました。

ここからスピーチセラピストさんたちとはVoice4uの話ばかりになってきました。学校の先生も参加されました。スピーチセラピストの同業者グループ、他の学校の先生も参加されました。OTや、渡の友達のお父さん、お母さん、そして自閉症のお子さんを連れてきてくださって、自閉症のご本人も含めて、皆さん思い思いの意見をいいました。試作を作成しては、試してもらうの繰り返しでした。

(第3回へ続く)